子犬がいた
実家に行ったら子犬がいた。小熊みたいな奴。
父が近所で子犬が生まれて里親を探しているという情報を聞きつける。父が母に「Mさんちに犬が生まれたぞ」と情報を伝える。母は動物が大好きなのだが、以前室内犬でひと騒動あったこともあり、ぐっとこらえて無視する。数日後に父がまた「Mさんちに犬がまだいるぞ」と情報を伝える。母は心が揺れ動くもやはりぐっとこらえて無視したそうだ。そしてさらに数日後、仕事場にて父は
「うちに犬がいるぞ」とのたまった。
出た!親父の独断専行。
その後驚くべき事実が判明する。私が撮ってきた写真を「まるで熊だよ」と夫と一緒に見ていたら、どうも顔が猿顔だということに気付く。それも人間寄りの。「猿の惑星だよコーネリアスだよ」と喜んでいたら夫が
「ていうかお義父さんに似ている」と言い放った。
これは偶然ではありません必然です。
キノコを干すと
うま味が増すと『ためしてガッテン』でやっていた。「味がない」「味については特に期待していない」などと囁かれ、地味な存在であったシメジなどが劇的に変わるという。私はキノコの館の住人と呼ばれる程キノコに溢れた環境で生まれ育ったので、このような情報を聞いてしまったらやらずにはおれないだろう。
シメジ、エリンギ、エノキダケと続々と生産した。エノキダケについては、干した物を直に食べると噛めば噛むほどに味が出るようなおつまみ系な食品となり、評判はまずまずだった。
シメジとエリンギについては、日々の食生活に追われ、干し上がったらすぐさま煮物やなんぞに取り急ぎ投入して使ってしまうため、未だうま味が増したかどうか実感できない。が、歯ごたえはものすごくいい。劇的に変わって、料理の中の食感の楽しさ出し係、食物繊維係として調子に乗って何にでも投入してしまう。
イヤいつの間にか主旨が変わっている‥‥というかもともとの「味がない」「味については特に期待していない」という「量産キノコの良さって食感だけではないか」という部分がより強調された結果になってはいないか。一刻も早く味がシビアに出るお吸い物でうま味が増したかどうか確かめて、この量産キノコに定着している世間の意識を払拭しなければならない。
ある日、自慢げに実家にそれらを持って行ってその手法を推奨していたところ母が、干椎茸もそのように自作すればいいではないかという。そうだよね、干椎茸ってちょっとしか入ってないのに高いもんね。
主旨はここで更に大きく変わる。
中国産と違って国産の生椎茸はけっこういい値段だった。他のキノコと一緒に干して数日が経過する中、徐々にわかってきた。椎茸は次第ににシワシワになって縮んで干し上がった頃にはかなりコンパクトになっていた。
わかったこと。干椎茸の値段はそんなもんだった。
シイの実を食べて縄文人を思う
冬に広島の友人からシイの実をもらった。シイの実はドングリの仲間らしいが帽子をかぶったドングリとはちょっと違うようだ。尖っていて縦に筋が入っている。長野のそこいら辺にはあまり落ちていないように思う。帽子が取れたドングリはなにか残念な感じがするのだが、このシイの実は裸身ひとつで完成された形状をしている。そしてかわいい。
手紙に煎って食べてもごはんに混ぜて炊いてもいいと書いてあったのでとりあえずオーブンで三つほど熱して食べてみた。素朴な味だった。自分がリスになったっぽかった。いや縄文人にとってこれは貴重な食糧だ。
煎る方式は煎りすぎた場合、衝撃的な固さになることが判明し、決して若くはない自分の歯をいたわり玄米と一緒に炊くことにした。炊くまでの段階へは、この貴重な食糧を喰いたいという執念なくしては辿りつけなかっただろう。
フライパンで根気よく煎ってその後亀裂が入った殻を剥くのだが、素手で簡単に剥けるのは数少なく、ほとんどペンチで優しくつぶして剥く。この優しくというのに熟練の技が必要であった。強すぎると身がクチャッとつぶれて残念なことになる。中には中がスカスカカラカラで、爆発して散乱することもしばしば。白い粉が舞い上がった。
炊きあがったシイの実入り玄米ごはんはなかなか美味しかった。シイの実はそのまま食べるより数段美味しかった。甘味を押さえた栗という感じか。
カエルくん
昨年の夏からずっと家のベランダに住んでいたカエル。だいぶ寒くなるまでベランダを徘徊しているのを見かけていたのだが、晩秋にはもうかなり動きが鈍く、手を近づけても動かないくらいモーローとしていた。
そんないざ冬眠に入らんとしてモーローたる姿を見て、全くの勘違いだがカエルくんが不憫に思う。なんか食べてるか?食べるもんあるんか?おばちゃんはおせっかいにも、カエルくんに食べ物を提供することにした。
カエルくんがいつも鎮座している鉢の縁に、金魚のえさを5粒供えておいた。朝見るとそれがなくなっていた。食べた‥‥。
カエルくんの姿はすっかり見かけなくなってもせっせとお供えは続け、朝見るとやっぱりなくなっている。カエルくんは密かに起き出してきて食べている。そんな私とカエルくんとの感動的なふれあいを知人に自慢気に吹聴したものだ。
1月になってもお供えは尚続けた。おせち料理の田作りで不要になったごまめの肝なども置いてみたりした。さすがのカエルくんも冬眠真っ最中だね、しばらく放置されていたが数日後にはなくなっている。知られざるカエルの冬眠の観察、冬眠中完全には寝ていないらしい。
ある朝の観察でお供え地点に何かいる!あんたカエルくんかい?!接近して見てみるとそいつぁごまめの肝にむしゃぶりついて氷りかけているナメクジであった。
オイオイオイオイ。
HOLY'Sのハンチングをば
HOLY’Sの商品撮影を毎年依頼されてやらせてもらっている。”HOLY’S”は広島県在住で、シェットランドヤーンを使ったニット作家を生業としている友人が作り出す商品の総称である。帽子や手袋やルームシューズが本当に可愛らしい。そして本当によくできている。
今シーズンはこのHOLY’Sのハンチングを注文した。昨シーズン妹が購入し愛用しており、それはそれは使い易そうだったので。妹曰く「これをかぶるとお洒落人間になれる」という。「お洒落人間になれるなれるなれるなれる・・・・」魅惑的な言葉がエコーを効かせてこだまする。
頼むついでに、近頃もうちょっとちゃんとした服装にしようと悩む夫にもクリスマスプレゼントとしてどうかと持ちかけた。
「お洒落人間になれるよ」
そうしたら
「キミの注文する分はボクがクリスマスプレゼントとして捧げよう」
・・・価格はおそらく同じだから果たしてプレゼントとして成立するのか疑問だった。
注文して1ヶ月後に帽子は出来上がってきた。素敵です。
明けましておめでとうございます。やっぱ遅い。
今年のおせちは、中身はどうであれ、ものすごくグレードアップした。それは素晴らしく素敵なお重に入ったから。豪華松竹梅の蒔絵の朱塗りの三段重。うっとり物です。
これはもともと『末広堂』にあった商品で、年末にネットに掲載しようと水漏れ確認していたら、五段重の内の二段が水漏れしていて、やっぱ載せられないねと思いつつ、きれいに洗って眺めれば眺めるほどにこのぬめぬめの艶々の朱色の漆器に引き込まれて、この箱に収まったおせちの完成図など妄想して、どうせ売れないだろうから今年はこのお重を拝借しようなどと考えていた。
その後商品を返しに行ったら、なんと父がこのお重をくれるという。いいんすか?!!そして遠慮なくありがたく頂戴したというわけだ。松の部分は水漏れ地帯だったので竹梅だけだけれど、そんなの関係ねえです。五段分も作ったら私が死んでいるし。
中身はというと、今年は夫が助手として大活躍してくれたので昨年より早く出来上がったような気がした。(注:重に詰める前の気持ち)ちょっと余裕があるような気がした。ウヒョヒョ(注:あくまでも重に詰める前の気持ち)
そのうっかり計算ミスがその後の行く年来る年の夜の私の行く末を大きく変えようなどと、そりゃ三十何年も生きてりゃぁうすうすわかっていたさ。
よせばいいのにもう一品作れると思った。年末にもらった大量のサツマイモを消費しようと思った。栗きんとんを作ることにした。裏ごしがメチャメチャ大変だった。
→栗きんとんできた。さあ詰めるぞ。いや切り分けるぞ。切り分けるぞ。6品あるね・・・
→切り分けた。さあ詰めるぞ。13品あるぞ。三段あるね・・・
元旦の初日の出を見るわけでもなく、いつしか夜は白々と明けていた・・・おそらくアホの域だと思う。
しかし、甘い伊達巻きや岩石卵がチビッコにうけるのを私は知っている。
やっぱりおばちゃんは来年も作るぞう。
(レシピは相も変わらずこの本)
ちょっと怖くていい山
昨年の8月には山田牧場の笠岳に登った。山田牧場には何回も行ったことがあるが、その頂上にある笠岳には一度も登ったことがなかった。夫は小学生の時に遠足で登ったという。小学生も登れるんであれば、軟弱な私にもきっと登れるはずだ。笠岳はその麓まで車で乗り入れられるようになっており、観光で立ち寄った際に気軽に登ってみてみてね的な佇まいの山でもある。しかし、そんな頂上にだけ登っても何かものたりないし何の運動にもならんだろうと、いつも訪れてはウロウロしている牧場から出発することにした。
山田牧場を登っている人など他に確認できない。コースみたいなものがあるかどうかすらわからないので、とりあえず開けた牧場を登り、牧場がとぎれた所から車が走る道路沿いを行くことにした。この道路は冬場はスキー場の中の林間コースとなっている道路だ。いつもスキーで滑り降りている一面雪のコースだった所を歩くというのも不思議な感じでいい。リフトから降りた所から見下ろす、人間が豆粒のように見えるジオラマのような風景もとても新鮮だ。冬も夏もかわいい。
舗装道路をしばらく登ったが、向こうに見える笠岳はいつまでたっても近づいてこない。単調だしどのくらいで着くかも見当がつかず、次第に飽きてきてダラダラとし出すのであった。
途中、道の脇に咲いた花にへばりついているかわいい昆虫を見つけ、足を止めてそれを撮ろうと夢中になっていた。撮った撮ったと振り向いたと同時に、ザザザッと獣的な音がして大きい何者かがそこにヌオーッと出てきた。思わず普通に身構えてしまったのだが、それは上半身裸で作業ズボンに蛍光色の入ったマジックテープのズック靴姿のおじさんだった。でえええ!?猛獣ではなかったが、別の意味でもっと怖い。
おじさんは普通に我らを追い抜いて行った。びっくした~。
あのおじさんはいったいなんなんだ‥‥でもとりあえず頑張ろう。そしてようやく問題の笠岳の麓に到着した。それほど大きい山ではないが相当きつそうな斜面だ。階段もしっかり作られているのでポッと来てポッと登るような雰囲気もあるけれど‥‥。
斜面はきつかった。気軽な佇まいに、犬をだっこしたロングスカートにサンダル履きのおばちゃんも登っていたが、果たしてこの人達は頂上まで行けるのだろうかという感じだ。口の中が血の味がしてきた。体力の限界を感じながらも異様に急な階段を登って行くと、階段がとぎれて岩場となった。頂上は近い。
岩場にはいきなり鎖が垂れ下がっていた。初めて見たぜ、鎖。登山のムードがムンムンしてくる。ドキドキするぜ。これを伝って行くと楽だよ、という意味だな。でもこんな岩場でこの鎖に命を預けていいのか?もし抜けたらどうすんだ?どうする?どうする?とモジモジしていたら、ランニングのおじさんがその鎖を巧みに利用して降りてきた。ああやって使うんだ‥‥。ていうかさっきの裸のおじさんだ。そして「けっこうきついよねー」みたいな感じで一言二言言葉を交わして去って行った。普通の人だった。でも鎖はちょっぴり恥ずかしいので使わずに、岩にへばりついて這うように登っていった。
頂上は相当怖かった。立ち上がるのが怖い。突風が吹いたら一発だよ。写真を撮るのもどうでもいいや。
そして岩と岩の隙間にガッチリはまるスペースを見つけて弁当を広げた。崖っぷちの眺望での弁当はスリルと達成感が相まって、なんともいえなく旨かった。
素敵なランチを終えてさて下山しようと出発したら、後から登ってきた登山慣れしたような年輩のおじさんおばさんグループが弁当を広げんとしていた。酒やビールもあった。やっぱここは気軽に来るような山なのか。
軽快に笠岳を下る。登山者としてちょっぴり成長したみたい。かなり腰はひけていたが下山では鎖プレイも体験してみた。
笠岳を制覇したことで気が大きくなっていた私たちは、帰りは道路ではなく「登山道」と矢印が立てられた藪に入って行くことにした。道はしっかりあるのでそこを行けばいいのだが、志賀高原などと違い、行けども行けども誰にも会わない。これはかなり怖い。バッタリ熊などに出会ったら大変なことになるだろう。微妙に小動物的な糞も落ちてるしな‥‥。私はつまずいた時などの叫びを必要以上に大きくし、夫は常に何かしゃべり続け、自分たちの存在を熊にアピールした。人がいないのをいいことに内容はかなりくだらなかった。
そして熊に出会うこともなく、無事見慣れた牧場に帰って来られた。
笠岳は、気軽に死にそうな思いをしながら登れて、ちょっと怖くて弁当を食べる良いところがあるいい山だ。