2008.04.02
シイの実を食べて縄文人を思う
冬に広島の友人からシイの実をもらった。シイの実はドングリの仲間らしいが帽子をかぶったドングリとはちょっと違うようだ。尖っていて縦に筋が入っている。長野のそこいら辺にはあまり落ちていないように思う。帽子が取れたドングリはなにか残念な感じがするのだが、このシイの実は裸身ひとつで完成された形状をしている。そしてかわいい。
手紙に煎って食べてもごはんに混ぜて炊いてもいいと書いてあったのでとりあえずオーブンで三つほど熱して食べてみた。素朴な味だった。自分がリスになったっぽかった。いや縄文人にとってこれは貴重な食糧だ。
煎る方式は煎りすぎた場合、衝撃的な固さになることが判明し、決して若くはない自分の歯をいたわり玄米と一緒に炊くことにした。炊くまでの段階へは、この貴重な食糧を喰いたいという執念なくしては辿りつけなかっただろう。
フライパンで根気よく煎ってその後亀裂が入った殻を剥くのだが、素手で簡単に剥けるのは数少なく、ほとんどペンチで優しくつぶして剥く。この優しくというのに熟練の技が必要であった。強すぎると身がクチャッとつぶれて残念なことになる。中には中がスカスカカラカラで、爆発して散乱することもしばしば。白い粉が舞い上がった。
炊きあがったシイの実入り玄米ごはんはなかなか美味しかった。シイの実はそのまま食べるより数段美味しかった。甘味を押さえた栗という感じか。