弁当食うところを求めて
8月のこと、北八ヶ岳に行った。「行ったことがないところで一日で行ってこれる森」でリサーチしたらここがあがった。北八ヶ岳は濃密な原生林に覆われ、日本の北欧と呼ばれているらしかった。日本の北欧‥‥素敵だ。その森が呼んでいる、と思った。
購入したトレッキングガイドブックによると一般的な4時間25分のコースと初心者向けの2時間45分のコースがあった。普段運動もせず、山になど年に1回やそこらしか行かない軟弱者であるにもかかわらず、初心者コースをとばして一般4時間25分コースにしようと前日にイメージトレーニングに励んでいたのだが、4時間25分と聞いた夫が、1時間30分のコースを3時間かかる我らが4時間25分のコースを行ったらどうなる、目を覚ませと注意を受け、初心者コースを行くことにした。
山に行くことのメインイベントはお弁当を食べること。デーーンと開けた大自然の中で弁当を食う。これを目標にひたすら歩き、登り、食い、そして帰る。
初心者コースの中には丸山という山と白駒池(しらこまいけ)という池がある。弁当を食うところは当然どちらかだろう。私たちは丸山山頂で弁当を食べることに決め、歩き始めた。倒木と苔むした地面が広がる森がひたすら続いた。なるほど日本の北欧、いいぜ。
途中分岐点があり、高見石という見晴台に行く方と丸山の頂上に行く方に分かれている。案内板を見ても見晴らしがいいのは断然「高見石」というようなメジャーな空気を放ち、「丸山」はどこかおまけ的な空気があった。しかしだ、初心者コースといえどもそこにある山に登らなければいったい何をしに来たかわからないだろう。頂上から下界を見下ろしながらの弁当は格別だよ。既に腹が減っていた私たちは頂上での素敵なランチをイメージしつつ懸命に険しい山道を登った。くじけそうになった時は「あんた、もうちょっとで弁当だよ!」と励まし合った。それにしても誰も降りて来ないし後ろからも登って来ない‥‥何かイヤな予感がしていた。
そして30分後、空が見えてきて、遂に頂上に登りきった。‥‥何も見えねえ。四方藪に囲まれた、空しか見えない頂上‥‥しかも開けてもいなく、道しかない。ただの通過点的佇まいだった。ここで弁当を食うことを目指して頑張ってきた私たちの心にぽっかり穴が空いた瞬間だった。ここでは弁当は食えない、引き返そう‥‥。しかし夫は辛抱しきれなかったらしく、卵焼きだけでも食べていいかと切り出した。えええ?ここでか?と思ったが、消耗しきった夫が不憫に思い、リュックをおろし弁当の包みを開いた。癒しの卵焼きが黄色く輝いていた。
そこへ人の気配がし、反対側から登ってきた小学生の男児二人と母の三人連れが、卵焼きの一片を貪る私たちの横を、目のやり場に困ったような様子で通っていった。
我に返りそそくさと弁当をしまおうとする私の頭上で、唐揚げも食べたいと求める小さな叫びが聞こえた。それは却下だ。
気を取り直して、我らは弁当を食う場所を求め「高見石」へ向かった。高見石はその周辺の代表的な観光スポットらしく、登り口には「飲食禁止」と書かれていた。残念だったがとりあえず行ってみた。大きな岩をよじ登って行く結構険しい道であったが、頂上には素晴らしい景色が広がっていた。これこれーこういうのが必要なのだよ登山には。広がる大自然には、我らに残されたたったひとつの弁当スポット「白駒池」が青く輝いていた。
次なる目標を目前に期待に胸膨らます我らの脇で、いざ弁当を広げんとするおばさんがいた。その気持ちはとてもよくわかるよ、でもさっきの看板を見なかったのか?ていうかさっきの頂上で会った親子だ。息子は周りの空気を察知し、ここで食べたら怒られるよと母親に弁当を広げるのを止めさせていた。小さいながらもよくできた息子だ。ちょっと感動した。
高見石を後にし、弁当を目指した。いや「白駒池」を目指して山を下った。しかしだ、白駒池は近くまでバスが乗り入れられる更に大々的な観光スポットだった。池のほとりには売店やパラソルなどが設置され、ミニスカートにサンダル履きのおネーチャンなどがアイスクリームなど食べてブラブラしている。ボートに興じるファミリーなども‥‥。結局池を一周してさまよった結果キャンプ場になっている所を見つけ、そこもかなり微妙なスポットだったがそこで目的を果たす。
苔むした原生林が広がる素敵な日本の北欧、弁当を食う場所を求めて4時間のコースだった。
団子も売っている快適コンサート
8月、仕事が一段落してボサーッとテレビを見ていたら、たまたま情報を仕入れた。8月の終わりにゴンチチが須坂市のメセナホールに来るという。これはと思い慌ててチケットを購入した。ゴンチチのコンサートは十何年か前にも一度行ったことがある。その時一緒に行った友人も誘って行った。
須坂のメセナホール、場内に入ると売店らしき一角に人だかりができていた。ゴンチチグッズを求めるファンが我も我もとやっているのかと人垣に近寄ると、どうも売っている人間が料理人風の帽子と白衣姿だ。よく見たら地元のお菓子屋さんが団子や大福餅、おやきなどを販売していた。入場客の中にはアコースティックギターのコンサートということでちょっぴりドレスアップしている女性もいる。ドレスアップしている素敵女子と団子を求める人、白衣に帽子の菓子職人。いろいろな人が混在するコンサート会場。何というおおらかさ、素敵だ、須坂。
6時半、そうだ丁度お腹もすく時間だ。平日だから会社が終わって速効で駆けつけた人にはオアシスのように見えるだろう。友人もそのオアシスにふらふらと近寄って大好物のずんだあんの団子を見つけ、買うというので私もこねつけを買った(正確にいうと買ってもらった)。私は後でゆっくり食べようとズボンのポケットにそのこねつけを忍ばせ、もぎりゲートに向かった。
するとだ、なぜか隣りで同時にゲートを通過しようとした友人がスタッフにとがめられた。友人は団子を食いながらもぎりゲートを通過しようとしていたのだ。ホール内は飲食禁止なので、ここを通過するのはいいがホールに入る前に食べきってくれと注意を受けていた。
そうだよね、ダメだよねー。実は私も席について開演までの間に先程購入したこねつけを食べようと、映画館の感覚でいたことは確かだ。そんな感覚をうっかり持たせる緩い空気があの売店の一角にはあった。団子を食いながらもぎりゲートを通過できるコンサート、素敵だ。
「二人でお茶を」が流れてゴンチチの二人が黒いスーツにお揃いの赤いギターで登場した。心地良い音楽と、飄々とした物腰のなにわのおじさま二人のおしゃべり。妙な行動を起こした客にも絶妙につっこみを入れる。『地球一番快適コンサート』素敵だった。
コンサート終了後にはサイン会までも行われ、今度こそゴンチチグッズを我も我もと買い求める人だかりと、サインを求める長蛇の列ができていた。そしてその長蛇の列を横目にフロアに出ると、あの売店もしっかり営業していた。さらに会場の出口に進むと近々行われる布袋寅泰のコンサートのポスターがバーンと張ってあった。団子を買い求める布袋ファン。素敵だ、須坂。
どうだカニ好きか
甥っ子が実家にて初めてカニを食べた日のこと。猛烈な速さでカニを食べている。その両脇では猛烈な速さでママとばあちゃんがカニ脚をむいている。うわ~すげぇなぁ~。私はただただ見ていた。「どうだカニ好きか」カニを買うのが大好物なじいちゃんは喜ぶ。明日は甥っ子達が集結する。確実にまたカニが登場するであろう。
花粉にまみれるクマバチ
先月、斑尾高原にある絵本美術館に行ったときのこと。見てきたのはサラ・ファネリという絵本作家の原画展である。コラージュにイラストを書き加えた作風で、そのイラストのゆるいタッチがよい味を醸し出していた。
満足して美術館を出ようとしたところ、入口のところにハマナスの赤い花が生けてあって、その花の中にクマバチがおった。虫が苦手な私としては一瞬ひるんだものだが、その花と蜂の絵のような光景に目を奪われた。
横から見ると透き通った花びらに蜂がブブブブやっているのが透けて見えている。上から見るとぬいぐるみのようなクマバチが黄色いモクモクした花粉にまみれてブブブブやっている。犬でいうと草っ原に放ったときにやる意味不明なゴロンゴロン「背中かゆいのか?」と疑問を投げかけたくなる。人間でいうと札束風呂に入って札束を浴びるフジコちゃんのような光景‥‥楽しそうだ。かわいい‥‥。でも怖い。でもかわいい。
自転車に乗っていると、あの真っ黒い毛に覆われた風貌で顔にぶち当たってくるような恐ろしいハチをかわいいと思うなんて私もずいぶんまるくなったものだ。
クマバチのことを私はクマンバチと呼んでいた。たぶん親の影響でそう呼んでいたと思うのだが、「熊みたいだから」というのはなんとなくわかった。しかしこの「クマ」と「ハチ」の間の「ン」はいったい何なのだ。そう子供心に疑問を抱いていた。「クマバチ」とあっさり言うより「クマンバチ」と言った方が怪獣っぽい響きになり恐ろしさが増す。‥‥勢いか。勢い余って「クマ」と「ハチ」の間に「ン」が入った。これは有力な説ではないか、そうに違いない。恐ろしさを表現するのに勢いをつけたら「ン」が入った。
恐ろしさから離れられない‥‥
調べてみるとどうも「クマンバチ」は「クマバチ」と別物で「スズメバチ」の別名らしい。「熊」というイメージは同様のようだ。それにしてもやはりこの「ン」はいったい何なのだ。余計に疑問が残る。
夢ありげな20万
ノートの片隅にこのような落書きがしてあった。仕事の電話で話している最中に書いたものと思われる。見ようによっては妙な微生物に「20万」と入っているようにも見えないでもないが、私の価値観からすると「20万」を囲っているのはおそらく「お花」だ。「20万」「20万」‥‥まずマルで何度もグルグル囲ってその回りを更に花びらで囲った。夢膨らんだ瞬間だ。
しかしこのお花に囲まれた20万の下に書かれた不吉な黒い点を見逃してはならない。夢から現実に引き戻された瞬間です。
いただきもので生きている[植物編]
山野草
親子二代で中学数学を教えてもらった先生からいただいた。師は両親の仲人さんでもある。昨年末に祖母が他界し、その葬式の日の火葬場の控え室で隣り合わせになり、その際、山野草の話で盛り上がった。師は70代も半ば過ぎかすっかりお年を召したが、退職してからハマッたという山野草の栽培に日々熱中している。花の交配をする。種を大事に採取して増やす。春になると市場に売りに行く。
山野草談義中、私がヤマシャクヤクを知らず、どんな花ですかこんな花ですかとしつこく尋ねていたら、花が咲く頃にくださるとおっしゃる。そして1月の終わりにセツブンソウ、4月の終わりにヤマシャクヤクとクロユリまでくださった。セツブンソウをいただいた後、花の写真を添えてお礼の手紙を送った。ヤマシャクヤクとクロユリをいただいた後も、お礼をしなきゃしなきゃと思いつつ6月にもなってやっと一筆したためて礼状をお送りした。
手紙を投函した夜、風呂の中で一日を振り返り手紙のことを思い起こした。記憶の中にある宛名の書かれた封書をイメージする‥‥ちょっと待てよ?‥‥どうも宛名に敬称が付いていない‥‥付けた記憶がない‥‥付けるとしたらおそらく“先生”と入れるはずが、名前の最後が“夫”でそのはらいを得意げにやってうまくできて満足した記憶の後は何もない‥‥付けなかったかもよ。呼び捨ての礼状‥‥。わかるかな、わかるよな、そうだもしかしたら郵便局の窓口で出したから、郵便局の人が気付いて付けてくれたかもしれない!!などと思ってみたりした。先生、失礼をお許しください。
胡蝶蘭
昨年母からもらった蘭の花が今年も花をつけた。それを母に報告したら、ものすごく褒められた。蘭は次に花を咲かせるのがとても難しいのだという。何度報告しても同じテンションで褒めてくれるので、3回は報告したと思う。
5月の初めに、妹が実家にこの巨大な胡蝶蘭を送ってきた。勤める会社の式典で何個も集まったはいいが、管理しきれないので欲しい人がいたら持って行ってもいいと言われたので頂戴したらしい。それが実家を経由して我が家に来た。蘭の花を咲かせた実績を買われ、この胡蝶蘭様の引き受け人となった。我が家では少々浮き気味だ‥‥。もしこれが来年も花を咲かせたなら‥‥どんだけのテンションで褒めてもらえるのか楽しみだ。
多肉植物
誕生日にいただいた。一つが「熊童子」、熊の手に似ている。もう一つが「ふくとじ」、うさぎの耳に似ている。動物シリーズだという。そしてもう一つは‥‥「乙女心」オトメ‥‥一気に範囲が広がったが、確かに乙女は動物に違いない。
熊手と兎の耳は繊毛が気持ちがいいので毎朝触っている。乙女心は触ると痛みそうなので触らずにいる。
大量のハーブの苗
昨年バジルとイタリアンパセリとディルの寄せ植えをいただいて、春に空いた鉢を洗ってお返ししたら、今年もハーブの寄せ植えをいただいてしまった。決して、決して催促したわけではないのであるが、想定外だったかといえば大嘘だったりする。今年はバジルとルッコラと大葉、昨年いただいたイタリアンパセリとディルはまだ生きているし。料理に使い易いハーブがいっぱいでございます。
たくさんの緑に囲まれ生きています。皆様ありがとうございます。
注:これらはほんの極一部です。
新入りオネエですか
親父の営む古道具屋「末広堂」は近頃庭が凄いことになっている。巨大灯籠が乱立する下には草木花が茂る。父が昨年の春夏に猛烈な勢いで植えまくった草花が一斉に伸びたり咲いたり凄まじい。更に山野草や苔玉やミニ盆栽みたいなものも売ることにしたらしく、それがズラズラ並ぶ。この度を超えた草木・・・親父ワールド。夏場は本業が暇になるため、平日も月曜日以外は午後から営業することにもしたそうだ。
中に入ると近頃入って来た新しい福助が出迎える。いらっしゃいませ~。睫毛異様に長く、頬をピンク色に染める・・・化粧濃くねぇスか?っていうか福助ってこんな顔だったか?
母曰く「頭はちょっと悪い」らしい。「頭部の塗料が剥げかかっていてガビガビしているので状態があまり良くない」と云うことを本当は言いたかったらしい。
先日来たときはこの福助だけだったが、次に来たら両脇に羽織の猫が二体固めていた。この陳列法・・・これも親父ワールド。