わけのわからないタルホワールド
ゆっくり読書などして過ごしたいなどと強く願っていると叶うもんである。幸か不幸かその願いが叶い、一日中、家事も仕事もいっさいしなくてよく、好きなことをして過ごしてよいという状況になり、叶ったからには実行するべし。13年前に買って未だ読んでいない本を先ず読む。女だらけの部屋にて。
稲垣足穂著『星の都』マガジンハウス刊 13年前に本屋で見つけて、装丁が美しかったのでつい買った(羽良多平吉氏の装丁だった)。稲垣足穂の随筆を集めた本である。当時この本を買う前に読んだ本『ヰタマキニカリス1』(河出書房新社刊)が面白く、「一千一秒物語」など、星や月からオペラハットをかむった男が出てきてひらっと飛び降りたり、月が短刀を振り回したり、ホーキ星がタバコをくれたりと、わけのわからないおとぎ話、弁士つきの無声映画を観ているような感覚、仕舞いに煙に巻かれる。みたいなタルホワールドであった。
特に「チョコレット」という短編が良くて、日本昔話で云うところの、鬼が最後に豆になって和尚さんが餅にくるんで食べるみたいな話なのだが、単純に悪い鬼をこらしめるという話ではない。ポンピィという少年が落ちぶれたフェアリー、ロビン・グッドフェローと世間話をするうちになんとはなしにロビンがチョコレートの中に入って出てこれなくなってしまい、それをポンピィが時には一生懸命救命しようと、大人に頼んだり地面にたたきつけたり踏んづけたり、時には面倒くさくなり、窓から捨てようとしたりと、少年ポンピィの心は揺れ動く。仕舞いにはそれを鍛冶屋に持って行ってぶち壊してくれと申し込み、チョコレートはなかなか壊れず意地になる鍛冶屋。最終的に鍛冶屋はやり過ぎて工場が半壊する‥‥
今回読んだこの『星の都』には、そのようなわけのわからないおとぎ話的なものはほとんど入っておらず、更にわけのわからないタルホワールドで、飛行機の話とか美少年の話とかオタク過ぎて何が書いてあるのかさっぱりわからない。一通り読んだが内容はほとんど憶えてない。憶えているのは私が本を読む同室で、大声で飛び交うおばちゃん達の話であった。イヤ今となってはそれすら憶えていないか。
明けましておめでとうございます。遅い。
本年も昨年に引き続き、自作のおせち料理で新年を迎えられた。普段作らないような立派そうな料理をそれらしくこしらえる。妙な達成感がありとても嬉しい。
レシピは前年と同じく、料理研究家の有本葉子氏の本を見るのである。紹介されている25品の中から、昨年は9品だったのが今年は12品とちょっぴりグレードアップしてみた。しかしこの先生は25品を15~16人分、3日間で作るという。いったいどんだけ手が速いんだと思う。私のようにのらりくらりと恐ろしく段取り悪く作っているような人間には真似できない芸当である。
昨年ケチッて苦労した「伊達巻き」用の鬼すだれをついに1本購入した。自作した鬼すだれも併せて2本で効率アップを実現させ、調子に乗って9本くらい作ったと思う。失敗作も合わせて何本作ったかよくおぼえてない。たぶんアホの域だと思う。しかし、元旦には1歳になった甥っ子が、両手鷲掴みで旨そうに貪り食ってくれ、とても嬉しかった。おばちゃんは来年も作るぞう。
あの豆腐のあの容器を使い回す
近頃、容器の下に溝を作って、豆腐の水分をしたたり落とすあの画期的な容器を開発したあの豆腐屋のあの豆腐の容器に、あの豆腐のように、だしこしもできるふんわり厚手のクッキングペーパーを敷いて、そこに4,5年前から絶やさずに作り続けているが、たぶんもう違う食品になっているような気がする「カスピ海ヨーグルト」を流し込んで、ヨーグルトの水分をしたたり落とし、まるでクリームのような魅惑の濃厚ヨーグルト、名付けて『男前ヨーグルト』を製造するのにハマッている。
で、そのあの豆腐店のサイトを拝見したらば 「近頃、類似品がよく出回っている」との嘆きニュースを発見した。
なんですとー?!! どうりで微妙に違うパッケージで色々な種類を売り出しているが、その違いがパッケージを見ただけでは全くわからないではないかと不可解だったんだよ。それが本物とまがい品が入り乱れていたせいだったとは‥‥
あたしゃすっかり騙されていたよ。デザインの仕事に携わる人間として恥ずべき行為。ああ情けないね。今冷蔵庫の中でヨーグルトの水分をしたたり落としているあの容器もどうもどうやら‥‥
あのまがい品かもしれぬあの容器でせっせと類似食品を得意になって製造していた人間がここにいた。
深夜2時から渋皮煮を作るか普通
1ヶ月も前のことだが、仕事がとても忙しかった最中に実家から採れたての栗が届けられた。母は茹でてスプーンでほじくって食べれと言って渡してきたのだが、せっかくもらったこの栗を荒々しくほじくって食べるなんてイヤだと思う。なんとか仕事の合間に渋皮煮にしてやろうとしばらく放置しておいた。数日後、気になって栗を袋から出して見てみたら、うっすらとカビが発生しかけているのを目撃する。ヤバイ‥‥これでは美味しい美味しい渋皮煮を食べることに思いを馳せていた私の夢が絶たれてしまう。ていうかほじくって食べることさえできなくなる。これが深夜2時のことであった。
慌てて昨年インターネットで入手した渋皮煮のレシピの入っているファイルを出してきて、最初のページを見てみる。「鬼皮をむいて、重曹を入れた水に浸して、アクをこまめに取り除きながら15分間煮る」簡単に書いてあるけど、渋皮煮で最もたいへんな作業は鬼皮をむくことなんだぜ。鬼皮をむく試練さえ乗り越えれば後は楽勝。アタシは騙されない。と少し得意気になって鬼皮をむき始める。
こんな静かな夜にはジャズだわね、とジョージ・シアリングとメル・トーメの『AN ELEGANT EVENING』を聴きながら、素敵な鬼皮むきタイム。ときおり固い鬼皮にツルっと包丁を滑らせ親指に刃が食い込む。その都度恐怖の悲鳴をあげるが、刃には栗の甘味でベトベトした渋皮がうっすら張り付いているから意外と無傷だ。無傷なのに瞬間的にうろたえている自分がちょっと恥ずかしい。
鬼皮をむき終えて小1時間、後は重曹で煮るだけでしょ。とページをめくって次の工程を確認する。「15分間煮たら煮汁を捨てて水に浸し、冷めたら1個ずつ取り出しタワシでやさしくこすり渋皮を取り除く。‥‥それを3回繰り返し、完全に渋皮を取り除くまでやる。その後シロップを作ってそれに漬ける。」‥‥工程は3ページに及んでいた。
栗をシロップに漬けて冷蔵庫に仕舞い終わった時、外は白々と明るくなっているのであった。
3mmの消しゴムを尊重する
もうすぐ消しゴムが終わりそうだ。直径約3mm。ここまでになっても無くならずに私の目の届く所にあるというのが少し誇らしい。
だいたい消しゴムというのはすぐどこかにいってしまう奴という印象がずっとあった。冬場にコタツで勉強をしている時など特にだ。いざ使おうとすると姿が見えない。あの布団やら座布団やらが幾重にも重なる複雑な構造のあったかいラビリンス。とても厄介だ。とてもイライラする。そういうくだらないことで何事にもすぐにつっかかって前進していかないというのは今も昔も変わらないが、大人になった今、消しゴムを最後まで無くさずに管理できるようになった。わずか3mmの消しゴムが無くなっていないかどうか時々確認する。あと何回使えるかな。1回かな?2回かな?‥‥‥アホだと思う。ああ自分でもわかってる。それはもうカスの域なのではないかと家族から注意を受けたりするが、私はこの3mmの消しゴムを尊重する。そういうくだらないことにつっかかって前進していかないというのは今も昔も変わらない。
絶対音感のようなものか
先日あったid=Naganoの勉強会。講師はプロダクトデザイナーの秋田道夫氏。テーマは「ライフスタイルデザイン ─心くばりから生まれるかたち」。素敵でした。根っからのデザイナー気質とはこういうことか。氏は自分自身もデザインするのだという。風貌、人との接し方、立ち居振る舞いなど、そこに心地よい空気が流れるように自分の平均値を保つのだという。それがたとえ目に見えないことでも、ちょっとしたことでも、心を配ることによって空気を心地よくしてしまう。心地よければ何故だかわからなくとも自然と馴染んでしまう。安心感や使いやすさを作り出す技。どう仕掛ければその空気を作り出せるかを知っている。それに気付く研ぎ澄まされた目を持っている。音楽でいったら絶対音感のようなものか。根っからのデザイナー気質、一流の職人のお話、心して拝聴しました。
塩焼き以外の秋刀魚料理をば
もう一週間以上も前のことだが、新鮮な冷凍秋刀魚を大量にいただいた。身がプリプリしていてデカイやつを。塩焼きにして2回食べたがまだ3尾も残っている。これだけ秋刀魚があるのに全部塩焼きにして食うというのも何なので、ちょうどいつか作ってやろうと新聞から切り抜いておいたレシピ「秋刀魚のつみれ汁」を作ってみることにした。
秋刀魚を三枚におろす‥‥たぶん生まれてこのかた3回目くらい‥‥おろした身に骨がめちゃめちゃ付いてるじゃないか‥‥小骨も大量に付いているがどうだろう。よくわからないので万全を尽くす方向で、身をぐちゃぐちゃにしつつ骨を一本残らず取り除く。どうせたたくんだからいいよね。そう自分を許しながらも時間はどんどん過ぎてゆき、たたき終わって1時間。ああもう腐ったな、と思う。せっかくいただいた天の恵みを、私のチャレンジ精神の欲求を満たしたいがために犠牲にしてしまったか‥‥いつも素敵な食材を分けてくださる御義姉様、ごめんなさい。こんなことならワンパターンて言われたっていい。塩焼きにしときゃ良かったかもな。そう思う。
でもな、ここまできたら最後まで作るしかないんだ。腐ってるかもしれないがネチネチしたつみれを丹念にスプーンで鍋に落としてゆく。腐ってるかもしれないが旨そう。腐ってるかもしれないが「秋刀魚のつみれ汁」は完成した。そうだ、やりとげることに意義があるのだよ。
‥‥結果的に「秋刀魚のつみれ汁」は大成功であった。腐ってなかった。フワフワのプリプリのつみれ。時折身の表面のつるっとした食感が挟み込まれ、秋刀魚の刺身を連想する。そして秋刀魚のいい出汁が溶け出した濃厚なおつゆ。自分で言うのも何だが申し分ないかもよ。いろいろあっただけにとても感動した。ある秋の夕飯。