カエルが住んでいる
ベランダにカエルが住んでいる。水くれをしているとたまにビックリして出てきたりするんだが、あの、ここは3階なんスけど‥‥。
どうにかしてよじ登ってきたんであろうが、なぜここにわざわざ‥‥。何か彼らにとって魅力的な匂いがしたんだろうか。極地的に大量発生しているアブラムシか。開け放たれた窓から漂ってくる金魚ちゃんの生臭い香りか‥‥。この間までは2匹いたのだが、水くれに狼狽した拍子にベランダからダイブして、地上の茂みに落ちて行った。またよじ登って来たらおもしろいのだけれど。
別荘でのステキ結婚式
結婚式の撮影を依頼され、軽井沢に行ってきた。場所は別荘風になっている有明邸という式場であった。一日貸し切りで行うハウスウェディングというやつだな。森の中の別荘での結婚式。とても素敵な所であった。式もとても和やかで穏やかな大人な式でありました。
そんな素敵なお式の中、私はいつものことながらいっぱいいっぱい。しかも今回は自分一人だけ。いつもしきってくれる相方がいないので自分でしきるしかなかったのだが、結局アワアワしてかなりスタッフの方に助けてもらったりして‥‥。
もちろん上手く撮れるかというのが最も心配なことであったが、その次に心配だったこと、それは足がつらずに任務を終えられるかということであった。つったら代わりに撮ってくれる相方がいないんだよ。心の中でそう自分を脅しながら頑張った。途中何度か危うい場面もあったが、なんとか持ちこたえて任務を終えた。
式場を出て、駐車場までの間、ほら来た足つったぁぁあ!!仕事が終わったと同時に密かに、誰にも知られることなく‥‥。ちょっと仕事魂って感じでカッコよくね?‥‥ない?ああないね。帰りの長野までの道中は、足の色々な部分が代わる代わるつり放題。いつものことだから慣れてるさ。
そういえば帰りにちょっと寄った「軽井沢現代美術館」の近くで、ウリ坊が二匹並んでドドドッて逃走していくのを見た。苔むした素敵な地面を掘り返して何か物色していたようだ。
デンジャラス、風呂屋で覚えた事
ある日そんなちょっと浸かり過ぎちゃった後、湯から出て洗い場までのほんの3mくらいの間だ。目の前が真っ白になってまっすぐ歩けないのだ。これはよくある学校の朝礼の時に貧血で倒れ込む病弱な少女の感覚ではなかろうか。そんな素敵な不健康少女みたいなんじゃん今私って、みたいな。明らかに勘違いだが、ちょっとした陶酔状態。よろめきつつ洗い場へ辿り着き水道の蛇口をひねろうとするが目の遠近感がおかしくなっており、スカッとはずしたりなんかして‥‥それにハマった。
どのくらい湯に浸かっていればぶっ倒れない程度にのぼせて、あの瞬間的なトリップ状態になれるかというのがコントロールできるようになり、度々試みては「自分、がんばれ!」などと心の中でエールを送りながら、ふらふらと洗い場へ向かう。若かった‥‥&バカだった‥‥あの頃。
注:危険ですので絶対に真似しないでください。
温泉より銭湯が好きだった
住んでいた村にはできたばかりの温泉が1件あったのだが、閉まる時間が早いし、何より地元の客の他に観光客も入り交じり、曜日によっては芋洗い状態になっているときもある。どこの温泉もだいたいそうだが、そのわりに洗い場が少ないので、皆洗い場が空いたらすかさず奪わなければと、目をギラつかせている。温泉で癒されるとかリラックスするとかそういう状況ではない。
それに比べて町の小さな銭湯は、いつもの人がいつもの時間に風呂に入りに来るという、極めて日常的でシンプル。夜10時までやっているし、洗い場もいっぱいある。皆おちついて、生活の一部として使っている。「背中洗ってやるか?」と誘ってくるおばあちゃんがいる。亀の子ダワシで身体を洗っているおばちゃんもいる。木曜日は「今日は鬼の日だねえ!」と『渡鬼』談義に盛り上がるおばちゃん達もいる。日替わりバスクリン風呂もあるよ。
土産のお茶 いったい何回分か
中国のお土産を頂いた。パッケージには『云南沱茶』と書いてあった。ウンナンダチャ‥‥理科の実験で使った乳鉢のような形に茶葉が圧縮されている。非常に固い。一回分にしてはなんだか量が多そうだが、これだけ固く圧縮されていると、崩すったってどうやってだろう。
とりあえず素手で踏ん張って割ろうと試みたが、唸り声が出るばかりで、明らかに無理だった。案外キッチンバサミでやったらサクッと切れるかも、とやってみるも相当地道な作業になりそうだったので断念した。インターネットで検索するも漢字と文字化けの記号が連なって出てくのみだし、こうなったら土産の出所に聞くしかないと土産をくれた本人にお礼かたがたメールで問い合わせた。返ってきたメールにはこの謎のお茶について全く触れられていなかった。わからないんだ‥‥。
そうとわかればもうこのお茶をどんな飲み方をしようが誰にも文句は言えないはずだ。これだけ一丸となっているんだからやっぱ一回分かもしれないよ。そうだよ、それしか考えられないよ。そう思うことにした。
ヤカンに湯を沸かし、こいつを慎重に沈めた。次第にほぐれてくる茶葉。‥‥モリモリしてきた。‥‥モリモリモリモリしてきた。‥‥今ならまだ間に合う!!!慌てて湯をピッチャーに移して、即座にまだ開ききらずに残った茶葉を分割して冷凍庫に保管した‥‥。こうなることは初めからわかっていたのだろう?
ピッチャーに注がれた黄金色の濁った液体‥‥。十倍ニ薄メテ飲ムベシ、云南沱茶 超濃縮タイプ。美味しくいただいています。ごちそうさまでした。
注:このお茶は本当は『云南沱茶(ウンナントウチャ)』(プーアル茶)で約3~4回分、削って(割って)使うらしい。でもどうやって割るかはわからない。
松川の風呂 のび太
住居の離れに設置されていたこの松川の風呂。木が縮んでいることによる水漏れは、しばらく根気よく水を張っていれば解決したかもしれなかったが、この無防備な風呂を使用することによってこれから起こりうる幾つもの事件を想像していたら、この風呂になんとかして入ってやろうという根性はわき起こってこないのであった。そして私は銭湯ライフの道を選んだ。だからこの風呂には結局一度も入らなかった。それが今思えば若かったなぁと思う。心残りだ。
そうだのび太。のび太のことだった。当時私はそれまでずっと長かった髪をバッサリ切ってベリーショートにしたのであった。イメージとしては『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグのような小じゃれたものを想定して思い切ったのだったが、やってみたらどうも違う。あれじゃない‥‥。想定外だった原因として、完全に服装がいけなかった。チビTにサブリナパンツではなかった。ラガーシャツにストレートジーンズ‥‥。決定的なのはメガネであった。ラガーシャツにメガネの短髪でジーン・セバーグとは大きく出たものだ。小学男児や普段着の中坊に間違えられたとしてもいたしかたない。当然のことながら周囲にはそのような小じゃれたイメージには受け取ってもらえず、メガネをかけていれば「のび太」。メガネを頭に置いていれば(ど根性ガエルの)「ヒロシ」と呼びかけられていたものだ。そんな感じだ。
そうしてこの小品「松川の風呂」は創られた。よく覚えていないが四・五枚刷って友人などに送りつけたと思う。もちろんドラエモンにも。その中の一枚がこの一枚で、両親に送ったものなのである。両親は一応わからないなりにも娘を尊重してくれ、13年経った今でもこの作品を電話台の前の壁に大事に貼ってくれている。空白には子供たちやおじさんおばさん、お寺などの電話番号が、サインペン、ボールペン、鉛筆などその時とっさに手にしたであろう思い思いの筆で書き記されているのである。ありがとう。ポップアートみたいだよね。
松川の風呂(1993年作)
以前、ポップアートというモノに非常に興味を示してした時期があり、何を血迷ったかシルクスクリーンでもって自分でも何かやってみたいという猛烈な衝動に駆り立てられ、印刷に必要な感光機を自作までしたことがある。その最初の作品がこれなのであるが、鼻息荒く道具を揃えた割に、やることは小さい。
『松川の風呂』のび太‥‥全く意味がわからないだろう。しかしこの作品にはその当時の私のパッションが凝縮されている。
当時働いていた職場で人事異動があり、私は松川村という村に住むことになった。その時自分でアパートを探すと申し出たところ、異動先の職場側から「アパート探しなんてそんな大変な作業はさせられるものか、こっちでちゃんとしたところを用意しておくから心配しないでいい」という温かいお言葉。いざ家財道具をトラックに一切合切積み込んで出向いたところ、家賃 破格の2,500円という田園に囲まれたいわゆる村営住宅のようなところに案内された。
「畳は全部張り替えたで新品だでねぇ~」ってゆーか玄関のドアの新聞受けただの四角い穴だし、みたいな。こっから明らかに中のぞけるし、みたいな。そして南側には庭付きのようだがその一角に物置のような小屋が建っている。しかしよく見ると屋根には煙突が‥‥。風呂だった。外かよ、みたいな。異様に主張する木の桶が小屋の中に置かれていた。風流だねぇ~ってそうじゃないんだ。
引っ越しを手伝いについてきてくれた先輩達は、面白がってその風呂桶の中にまたいで入ってみたりなどして遊んでいたが、そのうちに大変なことが発覚した。試しに水を張ってみたら、しばらく使用していなかったためか木が縮んでいて水がすべて漏れ出てしまうのであった。これがこの松川の風呂。