弁当花見とまんじゅう花見
4月、飯山城址にも花見に行った。お弁当を持ち寄って、おにぎりと唐揚げといなり寿司と卵焼きと煮物など。
とにかくまったりとしたのどかなお花見会場だった。拡声器のスピーカーから民謡が流れ、三世代の家族とか、奥さんが昼寝をして旦那さんがぼーっと花を眺めている老夫婦とか、歯抜けの初老のおじさんの話に静かに耳を傾ける古田新太風金髪おじさん兄さんやいろんな世代のいる肉体労働系のグループとか、部活帰りのジャージ姿で男子女子混合ではあるが結局男子女子別々に話し込んでいる中学生グループとか、とにかくまったりと穏やかな空気が漂う好いお花見であった。満腹で苦しい。
中野市の桜の名所、東山公園にも行った。桜ももうすっかり散ってしまったであろう平日、用あって実家に帰ったついでに、名物「揚げまんじゅう」食いたさに立ち寄った。この「揚げまんじゅう」は花見の季節限定で営業される花茶屋にて販売される黄色い串刺しのまんじゅうなのだが、なんか大好きだ。桜の季節になるとあのまんじゅうのことをときおり考える。
黄色い天ぷら粉で揚げたこしあんのまんじゅうが2コ串刺しになっている。頼むとそこで揚げてくれる。
桜はすっかり散ってしまって客はいなかったが、一応に演歌が流れており花茶屋もギリギリやっていた。実家と夫のお土産の分も買って、揚げたてをその場で食べながら散桜を眺めてぶらぶらと。
国宝 松本城 社会見学の記憶
4月、松本城に花見に行った。あの日珍しく松本城の中に入ってみた。中に入ったのは小学5年の遠足というかバス遠足というか社会見学で入った以来ぶりだった。記憶に残る急な階段と四角い窓。窓に切り取られた満開の桜や庭や人の縮図など、高みからの眺めが楽しい。特別な感じがする。
小学5年の社会見学、松本城で最も印象に残っていることは、観光客の中に混じっていたアベックのこと。
オレンジのつなぎのペアルックで手をつないで歩いていた。80年代初期の頃である。信州の田舎の観光地で青い運動着の遠足児童の集団の中にオレンジは異様に目立つ。しかも松本よりもっとド田舎からやってきた児童たちであるからして、つなぎのペアルックでソバージュみたいな人間など見たことがない。行くとこ行くとこオレンジがチラチラして気になってしまう。しまいにはベンチでだっこ座りで抱き合っていた。あれはもう高丘小学校5年の児童全員に衝撃を与えたであろうセンセーショナルな事件であった。エロかった。
後日、先生が撮ったスナップ写真が廊下に張り出されたのだが、ほとんどの写真の隅に、あのオレンジのカップルの様子が確認された。国宝 松本城 社会見学の記憶。
銀座ら辺をウロウロ
先々週の土曜日に父と母と3人で、出産を控えて自宅安静中の妹の見舞いも兼ね、弟の個展を見に行った。父と母は弟の個展を見た後、妹の家で一服したらトンボ返りで長野に帰って行った。私は妹一家のお手伝いが少しでもできればと、残留して数日滞在した。
子どもがいる家庭の凄まじさたるや・・・オラには務まらねえ・・・と思った。
滞在中、チビちゃんが保育園に行っている間に、気になる写真展など見に外出した。
銀座駅周辺を歩いて移動できる感じでギャラリーをぶらりと。
というか最初に行った森山大道展のギャラリーのビルがよくわからなく、同じ場所をグルグルグルグル回った。ぶらぶらなんてもんじゃない、必死だ。
森山大道写真展は、82年に発表された写真集『光と影』が今年、新書版として復刻されたらしく、その出版記念に開かれたようだった。『光と影』収録作品に、未発表作品も加えての展示の模様。
モノクロのギラギラした作品はただならぬ空気感で、ズキズキと刺してくる。ギラリと眩しいしクラクラした。こうしちゃいられないと何か迫り来る感じがした。
次のギャラリーに向かう途中、弟展がやっているINAXギャラリーの前に通りかかったので、ついでにもう一回覗いてみた。森山大道氏の男気あふれる写真を観た直後、弟の写真はなんと優しいのだろう。何か掻き立てられていた心がフワッとした。このリセット感はいいことなのか良くないことなのか・・・
さて次っ。
ソフィー・リケット(Sophy Rickett)というイギリスの作家の写真と映像の作品展。
闇夜の中のわずかな光に浮かび上がる何らかを切り取っている。ジワジワと焼き付いた何らかのモノが物静かに写っている。幻想的な写真だった。写真集が欲しい。
最後にムーミン展がやっている大丸ミュージアムへ。今まで見てきたギャラリーと違い、作品の点数が尋常でなかった。人も多い。夕飯を作らねばならんので4時までには帰らなければならない。これをうっかりのほほんと見ていたら間に合わなくなるぞと、じっくりとコメントを読みながら鑑賞する人達や、イチャイチャと鑑賞するカップルの後ろを早足で見て回る。虫食い状態で順路全く無視であった。
それにしてもかわいい~、トーベ・ヤンソンの絵。ムーミンのキャラの原型はヤンソンの落書き的なものから始まったようなことが書いてあったと思う。雑誌か何かの挿絵のどこかに、なにかっつーとあのムーミン的なキャラがものすごくちっちゃく入っている。イラストレーターのこの遊び心。
イラストレーターを生業としている友人のことを思った。仕事のイラストのラフを描いている紙の端っこに落書き。あんな感じかい。
全くもったいなかったが走るように全作品を見てギャラリーを出てきた。
スーパーで食材を買って4時に滑り込み。
西澤家は盛り上がっている
先々週の土曜日に父と母と3人で、出産を控えて自宅安静中の妹の見舞いも兼ね、弟の個展を見に行った。父がいつもながらの「明日行くぞ」で急遽東京行きが決まったため、準備で当日朝5時出発までに10分しか寝られなかったわい。
とりあえずは北区にある妹の家に向かう。車にナビがついていないので、前日に妹が用意してくれた行程の詳細と、Googleマップを巨大に出力したのを頼りに進む。妹の指示だと大泉ICで下りたら、まず環八を行き、途中から環七に移るというものだったが、いざ大泉ICを下りると父が「オレは環七の方が詳しいのだ」といきなり指示を無視して環七に向かった。時間帯で混むからわざとよけているのじゃないのか?と思ったが、父は我が道を行く。
一抹の不安がよぎったものの、幸いにも混むこともなく無事妹の家に辿り着いた。
そこからは妹の旦那様と姪っ子に引率してもらい弟展のやっている銀座へ。
INAXギャラリーの横には警察博物館なるものがあり、丹念に磨かれたであろうテカテカの裸に黒いベルトが無防備な巨大ピーポくんが出迎え、姪っ子が嬉々としてそっちに突進していた。
ガランとした大きな白い部屋に、2m角ほどに大きく出力された作品が15点。
弟の写真は画面の隅から隅までくっきり写してある。手前も奥も真ん中も端っこも。お手軽に撮った写真ではないことは確かだ。写っているモノはなんでもないモノ。なんでもないバケツが、机が、椅子が、緊張感をもって写っている、巨大に引き伸ばされた画面に間を持たせる。不思議な写真。
親子三人揃って感動したのは、この個展のチラシに掲載されていた、INAXギャラリー顧問の方による弟の作品の紹介文である。「万物への硬質で強靱な博愛的偏愛がある」或いは「まなざしのちからで、あるものすべてを立ち上がらせてみせるちからがある」などと評されており、なるほどそう捉えるもんですか、うまいこと書いてくれるもんだねえと感心する。そして親子三人でありがたがった。
その後・・・
母は、弟の作品というよりも、あのチラシが嬉しくて何度も何度も読み返しては喜んでいる。
父は、弟の写真のことを語り出すと、座頭市だ黒沢明だと引き合いに出し、皆を無言にさせる。(汗)
『西澤諭志 展 -写真/絶景 そこにあるもの-』
2009年5月1日(金)~5月27日(水)
銀座 INAXギャラリー
西澤家の弟情報「西澤諭志展」です
西澤家の弟が東京のINAXギャラリーにて個展をやるそうです、今日からです。
そしてなにやら本日初日にはアーティスト・トークなる時間が用意されている模様。あのボソボソと家では言葉少なげな弟がどう自身を語るのだろう。姉ちゃんは心配です。
物陰からこっそり見守り、感極まって涙したいところだが、如何せん今日は行けないや。
そういや弟が中学の時に、文化祭でバンド演奏をやるというので母と二人で見物に行ったことがあった。いや父もいたかもしれない。よく憶えてない。たしか弟は地味~な感じでベースを担当していた。バンドの演奏もたどたどしく「がんばれえ、がんばれえ」と手に汗握る感じだったと思う。
その夜、よくよく聞いたら本番中あろうことかベースの電源が入ってなかったと情けなく話していたのを思い出した・・・おまえはザ・タイガース時代の岸部シローか。
企業のギャラリーなので日曜祝日は休館のようです。
『西澤諭志 展 -写真/絶景 そこにあるもの-』
2009年5月1日(金)~5月27日(水)
アーティスト・トーク
2009年5月1日(金) 18:00~19:00
クマはでっかくなった
実家の愛犬クマはたぶん1歳になった。サイズは3~4倍、や、8~9倍になっている。デカいクマを見ると「走れジョリー」を思い出し「黒い魔犬!!」と思ってしまう。
とにかく何かを噛みたくて、リードは3~4本噛みちぎり、いっぺん単独散歩を慣行し、「クマちゃんが走っていた」という情報を得た後、近所の家に無事保護される。
去年の夏には念願のドッグランに連れて行った。ものすごい勢いで全力疾走し、かわいらしい小型ワンちゃんと飼い主さんの間を割って突っ切っるなどメッチャクチャだったが楽しそうだった。
でも意外と体力がなく、すぐにバテて日陰に張りついて寝そべったままで水をがぶ飲みしてピーピーになっていた。
暴れん坊だが実は軟弱。
もっと早朝の涼しい時間に連れてきてあげたい、今年は。
未来を写した子どもたち
未来を写した子どもたち
アメリカ/2004年/監督:ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキ
ドキュメンタリー映画。インド・コルカタの売春婦の生活を取材・撮影しようと、その地に滞在していた女性カメラマンが、その売春窟で暮らす子どもたちと触れあううちに、その子らに興味を持ち、写真を教えるようになる。
売春窟で暮らす人々というのは、特殊な環境であるため一般社会から隔離されているといったような状態だ。そこで生まれ育った子どもたちは、社会的な偏見や親の考え方、経済的な理由などいろいろな弊害が生じて簡単には教育を受けられない。
でも子どもたちの中には、教育を受けたいと思っている子どもはいる。教育を受けたいと思っても、どうしたら教育を受けることができるのか、その術を知らない、親も子も。それが教育を受けないということの悪循環ではないか。
子どもはそのまま大きくなれば、近い将来は売春婦、女たちの世話をする晩春窟の男になるのみ。それが親が子どもに教えられるただ一つの職業だからか。
でも本当はそうではない。なれる職業が一つしかないなんて嘘だ。この作品の監督である女性カメラマンのザナ氏は、この子どもたちに写真を教えながら、この売春窟から抜け出せる可能性があるということを教えた。子どもたちの撮った作品の写真展を開き学費を集め、学校に入学するための書類を集め、複雑な手続きに奔走する。
そんな悲劇のような環境に生まれ育った子どもたちであるが、普通に明るいし、屈託ない。でもやっぱり普通じゃない。
10歳~14歳、インタビューに答える口調はめちゃめちゃしっかりしている。自分が今、或いは今後しなければならないことがちゃんとわかっている。写真について学ぶ吸収さ加減が尋常でない。
もともと画を描くのが好きだったりして芸術的センスが最も光っていたアヴィジットくんなんぞは、目つきがもうギラギラしているし、11歳だから日本でいうと小5か、小5でそんな撮り方するか?!!というようなアングルで撮ったりする。子どもたちの写真はイキイキし過ぎて、ジェラシーだ・・・
ザナ氏の苦労の甲斐あって、子どもたちへ学校の門は開かれるのだが、ここで彼らは究極の選択を迫られる。寄宿学校のため親元から離れなければならない。10年程の課程が終了するまで家に帰ることが許されないとか・・・人手がなくなるからと親から反対されている子もいる。一歩踏み出すには余程の覚悟がいる状況。こんな10歳やそこらの子が、そんなこと自分で決めなければならないなんてさ。
けれども、こんな極限状態に身を置いているからこそ、しっかりと意志を持って、目をギラつかせていなければ生き残って行けないのかもしれないし、そんなギラギラした子どもが育つのかもしれない。ぬるい日本とは明らかに違う。
映画の終わりに、子どもたちのその後(2年後)の動向がテロップで表示される。やっぱり現実はそう甘くないか・・・とがっくし来て帰りの車の中でいろいろ考えた。義務教育はいいことか、よくないか。ありがたいか、ありがたくないか。
家に帰ってから映画のパンフを見た。日本で公開されてパンフができた頃の、更に4年後の子どもたちの動向が書かれていた。やっぱりザナ氏の行ったことは響いていなくはなかった。あの子らや、その他のあの地の子どもたちや或いは世界の子どもたちの未来にも繋がっているのではないか。
映画館のお土産、パンフの文化は素敵だった。