足がいい授乳法
授乳方法にもいろいろあるらしい。妹がやっていたのは「フットボール抱き」での授乳法であった。赤ちゃんをアメフトのボールに例えてのネーミングである。それは私が思い描いていた「お母さんが赤ちゃんにおっぱいを飲ませている」イメージを覆すような体勢であった。仰向けの状態の赤ちゃんを小脇にガシッと抱えるのだ。妹の場合はその体勢が最も都合がいいようだ。
片手で抱えている訳で、頭は当然前に、足は後ろに無造作に投げ出されている状態であるが、無造作なんて、とんでもない。この足が実にいい。足はぴーんと異様に突っ張っている。例えていうならゴマフアザラシを抱えているようにも見える。誰に教えられたという訳でもないのに、重力に逆らったこの緊張感のある足。意志がある。頑張って子育てしている母に対しての敬意のようにも見える。ダラダラただ飲んでるだけじゃないんだな。伯母さん感心しちゃった。
その他に「ラグビー抱き」という方法もあるそうだ。そう聞いてとりあえず「ヒップアップ」の島崎氏のネタをイメージして、私なりに「ラグビー抱き」を想定してその場で立ち上がってやってみたが、立ち上がった時点でアウトだった。
局地的方言「ゲット」
近頃身体のあちこちにガタがきている父が、カイロプラクティックという整体のようだけど整体ではない施術を受けた。昔から医者の類を全く信用せず病院などに行きたがらない父が、こんな横文字のしかも医者でもない所に自ら行くはずもない。今回行くことになったのは姉夫婦の差し金。もともと極真空手をやっている姉達が行きつけている所らしく、勝手に予約をして行かざるをえないように仕向けたのであった。まぁ「俺は行かねえ」とか「断れ」とか拒んではいたが最後は娘の想いを汲んだようだ。
で、昨夜どうなったか知りたくて実家に電話してみると、「いいとこだった。肩もだいぶ良くなった。ちょっとはゲットにしたとこもあるけどあんまりゲットにしなかった。あさってまた行くことにした。」だと。かなりお気に召したようだ。
というより問題は「ゲットにした」という言語、意味わからないだろう。文脈からして英語の”get”ではないことは明らかだ。親父が云うこの「ゲット」は「乱暴」という意味なのである。この「ゲット」を家庭外で誰かが使用しているのを聞いたかどうかというのは定かでない。ひょっとしたら親父が作った創作言語かもしれない。そんな恐れもある。外で通じないであろうということは薄々わかっているのでよっぽどのことがない限り使用しないようにしている。文例:「ゲットしよう!」=「乱暴しよう!」、「ゲッチュー!」=「おまえをズタズタにしてやる!」など。
お祝いにちらし寿司
お祝い事があり、ちらし寿司を作った。実家、昔はちらし寿司といえば「すし太郎」であった。サブちゃんが歌っていたのに忠実に、あったかごはんに混ぜただけで、その上に海老とかイクラとかそういうアレンジメントはなかったと思う。カレー皿で、へたすりゃスプーンとかで食べていたかもしれない。
マイソリ登校か
これは先日の寒さのピーク時の写真だが、年末年始休みも終わり、小学生の丘滑りプレイもさらにヒートアップしている。スキーウェアの着用はもちろん、ソリを手にしている子供もいる。家から持ってきてもいいという許可が出たのか、それとも学校で購入した備品なのか。しかし、よく見るとかなり色とりどりだし形も揃ってはいないようなのでたぶん私物だ。持って来てもいいが、家から学校までの間は乗ってはいけないとかいう規則があったりするんだろうか。片足乗りならいいとか。
私が小学生だった頃はソリっていうのはなかったがプラスチックのミニスキーで登校している子がいたり、スキー教室の日にはあのガンダムのようなスキー靴を家から着用して登校したり、自転車通学の中学生は雪積もる道を自転車で肩にスキーを担いで登校するなど、快適かそうでないかにかかわらず、かなり子供の思うがままに、伸び伸びと、個性を伸ばす感じで‥‥。
閑人、温泉のはしご
二カ所の温泉の回数券を手に入れる任務があり、その二カ所の温泉に行く。温泉に一人で出かけて行くというのは相当なしばらくぶりである。
むかし一年間を温泉あるいは銭湯に毎日通うという生活をしていたことがあり、その時以来だと思う。
当時は温泉といえば洗い場が少ない上に近所の温泉愛好家に加えて観光客も入り混じり常に芋洗い状態で、洗い場の場所取りに皆の目がギラギラしており、温泉なのにリラックスもへったくれもなかった。どちらかというと利用者が生活の一部として集まる場としていかにも日常的な銭湯の方が好きであった、というよりも面白かった。いや今はそんな話ではない。一人で温泉に行くということだ。
最初に行ったところは小布施町にある小布施温泉穴観音の湯という温泉だが、平日の昼過ぎというマイナーな時間帯であるためかなんなのか、お客はちらほらで全く混んでいる様子はなかった。ここの温泉にはミストサウナがある。10年くらい前に一度来たことがあった。その時はこのサウナの、突然下から勢いよく吹き出してきた蒸気に狼狽して、出るタイミングがわからずのぼせてたいへんだった。今日はもういつ止まるとも知れない蒸気が突然出てきても慌てることはない。自分のペースで何回も繰り返し出入りしてやる。ミストのせいなのか熱さがあまり苦にならなく意外と長時間入っていられたような気がする。
他には露天風呂もあり、中腰になると柵越しに北信濃に連なる山々や周辺のリンゴ畑が見えて眺めが良好であった。まあいつまでも中腰でいるのは不自然なので、腰を下ろして空を見上げながらボケ~ッと気の済むまで入ったり‥‥。実に気ままだ。誰にも合わせなくていい。一人温泉。
その後もう一件の温泉にも入り、回数券入手の任務は無事完了した。そして近くまで行ったついでにまた実家に寄り、甥っ子見物。閑人。
分配された10キロのブリ
昨年末にある義理堅いお方から、実家がお歳暮としていただいたというブリのおすそ分けを、本日解凍してにぎり寿司にしてみた。今頃刺身として食べても大丈夫なんだろうか。美味しいからたぶん大丈夫なんだと思う。まぁダメだったら明日にはわかる。
そんなことより問題はお歳暮に10キロのブリを抱えて訪問してきた方がいるということだ。10キロて‥‥。とりあえず10キロのブリが想像できないので、10キロの米と置き換えて想像してみる。明らかに片手では持てなそうな規模である。10キロて‥‥。みんなの勘違いなんじゃないか。
しかしこの方は昔からこの調子で義理堅いという範疇を超えた規模で何かを贈ってくる方なのである。先日友人の家に遊びに行った際に偶然にもその方の新情報を仕入れることができた。それによると、県外のある家には長野名物の「おやき」を100個贈ったという伝説もあるのだそうだ。100個て‥‥。やはり10キロは間違いではないと確信する。
謹賀新年 リメンバーマイ年末
昨年は日記をブログに移行したことに伴い、以前より少し多くの方々に訪れていただけるようになったように思われる。このつたないブログを時折読んでくださっている皆様、コメントなどしてくださった方々、たいへんありがとうございました。本年も多くのくだらない小事件、ミラクルな出来事等に遭遇することを願って、更新に励みたいと思います。変わらぬご愛顧の程どうぞよろしくお願い申し上げます。
おせち料理作りに没頭する
さて、昨年の年末といえば、おせち料理に情熱を燃やしていた。お恥ずかしい話、おせちなどというものを作るのは生まれてこのかた初めてで、作り方など全くわからない。そこで、先ずは料理本から仕入れてきたわけだ。立ち読みにより厳選して仕入れてきたのは料理研究家の有本葉子氏の本で、それに基づき制作した。本には25品紹介されていたが、んなものを全部作れるわけがない。実家の母が絶対作りそうもなく、自分が食べてみたい物を9品選んで作ることにした。
29日は材料の買い出しと伊達巻きの試作&本を読みながらのイメージトレーニング。30、31日の2日間で料理に励んだ。ただでさえ手が遅い自分が、9人分のおせちを作るってんだから、相当な時間を費やして、最後に重箱に詰め終わった頃には疲労困憊、精も根も尽き果てたが、そんなこんなでこの大晦日に相応しい達成感ひとしおでもあった。
今回のこのおせち作りで最も工夫したこと。それは伊達巻き用の“鬼すだれ”を自作したことである。なにか貧乏くさい雰囲気がありありだろう。まあ何を言われたっていい。私は2千円の“鬼すだれ”を買うのをケチって、百円の“普通巻きす”を変形して鬼すだれを自作した。“普通巻きす”に割り箸を定間隔に糸でくくりつけていったのだ。もちろん割り箸は幅が均等ではないので、均等になるようにナイフで削ることは怠っていない。
まあ、その鬼すだれを健気に作っている1時間の間にいろいろ考えたさ。本物の鬼すだれの形状は三角形の竹を繋げた物だが、今くくりつけているのは割り箸で四角いからきっと歯車のような形のちょっと違うダサ伊達巻きになるのだろうか‥‥とか、こんな本当に使えるかどうかもわからないモノを作るという、貧乏くさい作業に時間を費やすくらいなら今からあの店に戻って買ってきた方が良いのだろうか‥‥でもあの店に行くには渋滞した道をまた戻らねばならないのだよ‥‥そしたら1時間じゃすまないような気がする‥‥とか、いろいろなことが頭をぐるぐるしていた。
しかし、結果として伊達巻きは我ながら惚れ惚れするような波々アールを描いて仕上がった。 アタシってすげえ。あの押し迫る年の瀬に大得意になる自分であった。