撮影オタクを見た
妹がお産の準備で、旦那殿とワンコ2匹に付き添われて里帰りしてきた。夜は食事会をやるというので実家に帰ったわけだが、妹が連れてきたワンコの他にチャートラの子猫も1匹混じっている。こいつは近頃親に見捨てられて飢え死にしそうだったのを親父が飼い出した猫らしかった。まだ毛がフワフワでめちゃめちゃかわいい。もともと動物好きの妹の旦那殿は、常に数個のレンズを持ち歩く程の、撮影が日常化されているお方なのだが、そのあまりにもかわいらしい猫っ子に喜々として写真を撮りまくられておられた。そのシャッターを切る回数は尋常ではなく、連写しているのかとでも思うくらい切っているのであった。どうも大容量のメモリーを積み込んだデジカメらしく全く気にしなくていいようだ。私もたいがい撮影オタクだと思っていたのだが、その撮影っぷりには全く及びやしないのであった。
濃い1泊2日 山形の旅終わる
帰り道、私の希望で蔵王に寄る。車で行ける範囲だからロープウェイの駅の前までであったが、紅葉がちょうどよく、紅葉の壁が間近にバーーンと広がる志賀高原などとは違い、低い小山が幾層にも遠く広がる立体的な紅葉に感動する。山形の紅葉を見て大満足しつつ、蔵王を後にし長野へ向かう。途中、新潟の水原町にある親父おすすめの瓢湖に寄る。そこは冬になると白鳥が飛来してきて越冬する湖として知られているらしい。午後から次第に天候が崩れてきて雨が降っていたので、まだ4時半過ぎにもかかわらずもうあたりは薄暗かった。お土産屋でビニール傘を入手し湖へ向かうと、そりゃ凄かった。白鳥と鴨が芋洗い状態で湖中にひしめいていた。真っ暗になる寸前で次から次から続々とこの寝床に帰って来る白鳥が着陸している。そしてワーワーワーワー非常に騒がしい。その中の一角では4羽くらいで向き合って首を伸縮する感じでかしましくしており、めちゃめちゃ井戸端会議中なのが可笑しかった。こまごました鴨もチョロチョロしていてかわいい。横殴りの雨が当たって傘の意味もなくジーパンはびしょびしょになったが、親父、いいもの見せてもらったよ。
その後、早く帰りたい一心で次第にスピードが上がる親父のダッジバンに、母も私も恐怖の声すら出なくなっていたが、夜9時、長野の実家に無事到着。安堵。
帰り道、私の希望で蔵王に寄る。車で行ける範囲だからロープウェイの駅の前までであったが、紅葉がちょうどよく、紅葉の壁が間近にバーーンと広がる志賀高原などとは違い、低い小山が幾層にも遠く広がる立体的な紅葉に感動する。山形の紅葉を見て大満足しつつ、蔵王を後にし長野へ向かう。途中、新潟の水原町にある親父おすすめの瓢湖に寄る。そこは冬になると白鳥が飛来してきて越冬する湖として知られているらしい。午後から次第に天候が崩れてきて雨が降っていたので、まだ4時半過ぎにもかかわらずもうあたりは薄暗かった。お土産屋でビニール傘を入手し湖へ向かうと、そりゃ凄かった。白鳥と鴨が芋洗い状態で湖中にひしめいていた。真っ暗になる寸前で次から次から続々とこの寝床に帰って来る白鳥が着陸している。そしてワーワーワーワー非常に騒がしい。その中の一角では4羽くらいで向き合って首を伸縮する感じでかしましくしており、めちゃめちゃ井戸端会議中なのが可笑しかった。こまごました鴨もチョロチョロしていてかわいい。横殴りの雨が当たって傘の意味もなくジーパンはびしょびしょになったが、親父、いいもの見せてもらったよ。
その後、早く帰りたい一心で次第にスピードが上がる親父のダッジバンに、母も私も恐怖の声すら出なくなっていたが、夜9時、長野の実家に無事到着。安堵。
ある写真家の「箱の時間」
弟の通う大学に立ち寄り、宮本隆司という写真家の写真展を見る。学校は休日だから人気がない。学校全体が美術館のような佇まいで、建物のまわりに浅く水が張ってあり(長野の東山魁夷館なような感じ)青い空が映っていて美しい。
ギャラリーに入ると学芸員に扮する弟が部屋の隅にちんまりと座っていた。正面には3m四方もの箱の展開図型の巨大なピンホール写真が掛けられ、フロアの中央には人が入れるくらいのベニヤ板でできた箱が置かれていた。学芸員の説明によると、この箱は巨大なピンホールカメラであり、宮本氏自らがこの箱の中に入り撮影した写真がこちらなのです。と言う。だから展開図の形をした写真の一角には壁にへばりついて息を潜める、というか酸欠に耐えしのぐ本人の陰が写っているのであった。円形に深く青くぼんやりと写る多摩川の向こうに広がる東京の風景がものすごく神秘的で、またこの箱の中全体にこの外の世界の何分間かの映像が映し出されていたのだと思うと更に輪を掛けて神秘的であった。親父は学芸員に「これはいくらで売っているのだ」とすかさず値段を聞いていた。
更に奥に進むとギャラリーの奥には段ボール箱がぎっしりと積まれ、壁が作られていた。壁には人が腰をかがめて通れるくらいの穴が設けられており、学芸員に促されてその穴をくぐる。その向こうの足下にはホームレスの家のモノクロ写真が展示されていた。最小単位の建造物として撮影されたいくつもの家は、限られた、或いは無限の資材でもって工夫を凝らして作られており興味深い。親父もその最小建造物の構造にかなり興味を示し、食い入るように見ているのであった。
芋煮の野望 実現できず
よくよく聞くと弟は、本日は大学のギャラリーで開かれているある写真家の個展の学芸員のバイトで9時までに学校に行かねばならなく、野外芋煮は無理と思われ断念する。親父は芋煮会場だけでも見学したかったようで早朝6時前に起き出して「行くか!」などと言っていたが、(気を使って)弟を叩き起こせずそれも断念した、と思ったら私が弟に買っておいた9月に寺泊に行った時のお土産の姫鱈の干物を目ざとく見つけて「開けていいな?」と誰の返事も待たずにビリビリ開けてコンロであぶってつまみにし、今回の土産で持ってきた缶ビールも開けて飲み出すのであった。あ~あ、早朝から酒だよ。
その頃母は台所で、ネットで入手したレシピをもとに、芋煮をこしらえていた。里芋と玉こんにゃくとネギと牛肉に醤油と酒と砂糖で味付けした汁にするらしい。親父の希望で長野県産本しめじとニラとゴボウときりたんぽとがんもどきも投入することになっていたが、きりたんぽとがんもどきは具が入りきらないので却下された。山形県民がいないところで作った芋煮であったが、牛肉に醤油ベースの汁が新鮮でおいしかった。弟、「たぶんこんな感じ‥‥」と言って食べていた。
弟を送り出した後、部屋を片づけて私たちも出発する。せっかくなので弟が学芸員バイトをやっている写真展を見てから帰ることにする。昨夜は暗くて気づかなかったが、アパートの窓の外には大きな木があってきれいに紅葉していた。
弟の写真、弟の住処
弟に案内され、図書館の一角に設けられたギャラリースペースに。押し掛けてきた父母と姉を嫌がりもせず、快く迎えてくれる‥‥いい子だなぁ~(姉バカ)。少しずつだが弟も含めて4人の学生の写真が展示されていた。弟の写真は子供の写真であった。子供といってもかわいらしいとか微笑ましいとかそういう写真ではない。ゲーセンで真剣な眼差しでムシキングに熱中する子供やそこいら辺にボサーっといるような子供をほぼ盗み撮りのような感じで撮影している(近頃、人の写真が多いようだ)。ほとんどカメラに気づいていない。(まあ、カメラを隠しているわけではないので堂々と撮っているのであるが。)中にカメラに気づいてこっちを直視している写真があり、ただならぬ緊張感を感じた。撮っている人と撮られた人との距離感や緊張感や状況がリアルに伝わってきて映像的かもしれない写真であった。なんかいい感じかもよ、などと思う(姉バカ)。母は作品よりも弟の作品に寄せられたコメントノートに真剣であった。
その後、明朝の芋煮の材料をスーパーで調達し、弟の住処へ。それなりに物が散乱した男子学生の部屋に、布団や食料を部屋に運び込みすぐに寝られるように布団をセッティング後、近所の居酒屋へ。親子で居酒屋に入るなんて初めてかもよ。そして再びアパートに戻ると父は着替えもせず布団に直行。早っ!速攻で寝息をたてていた。父と母は最初から風呂に入ったり寝間着に着替えて寝ようとかいう気はなかったらしく何も持ってきていなかったのだ。たぶん野宿というような心構えである。ワイルドだなぁ。そして母と私は申し合わせたように自然と台所の清掃に入る。油ギッシュなコンロまわりと、歩くと米粒や何かの異物が足裏にくっついてくる床、汚ねぇな~。1時間ほど励むとそのへんにして寝ることにする。私はさすがにジャージを持ってきていたので着替えて床に着くのであった。
父のダッジバン、山形への道
弟の作品を本日見るには、学校の一般の出入りが許されている夜8時に間に合わせなければならない。正午に出発するはずが野暮用が発生して1時間半遅れた。上信越自動車道を北上し、北陸自動車道で更に北上、終点の中条I.Cで降り山形市へ向かう。長野-新潟-山形、ひたすら田園風景が続く。のどかだ。山形の空は長野と違い山が遠く広く感じた。
親父のダッジバンは走る。車内は長年放置されていたための革シートかカーペットに染みついたカビかなんだかわからないが変な匂いが充満しており、ゆったりはしているものの快適とは言い難い。ファ○○ーズをそこここと吹きかけたがあまり効き目がなかった。それとだ、父の運転は普段からセンターラインにけっこう寄っており怖い。なだけに今回のこの車といったら大型トラック並に車幅があるものだから相当怖い。気づくとセンターラインを越えて真ん中を走っている時があるのだ。その度に助手席の母が「乗っかってるよ!」と警告する。途中から母と座席交代で警告係になったのだが、左ハンドルの助手席でセンターライン寄り(越え)というのは相当怖い。対向車にスレスレだー!!ある意味ジェットコースター。父には煩がられたがもしものためにも警告係をしっかりやった。
日も暮れて真っ暗な中、センターラインの恐怖におののきながらも無事7時30分、弟のいる学校に到着した。
父、山形への5つの野望
山形の大学に通う弟のところに、父と母、私の三人で押し掛ける。おととい突然母から電話で誘われ、なんか面白そうなのでついて行くことにした。長野から400キロも離れた遠い山形へ行く目的は何なのか問うたところ、
1)11月2日の弟の誕生日を祝う
2)プレゼントとして30kgの米や長野の作物を贈る
3)弟の大学のギャラリースペースに展示されている弟の作品を見る
4)芋煮会フェスティバル会場を見学&芋煮をやる
5)長年眠っていたオンボロダッジバンの復活による試運転
5つの目的の中で、重要目的が1~3だったら全くの親バカとういうか変な親バカなのだが、(弟には悪いが)親父の最大の目的は「ダッジバン試運転&芋煮」であろう。1~3はその目的への理由付け。それにしても変な親であることは変わらないか。
父は弟のアパート探しで山形に行って以来すっかり山形が気に入ってしまったようで、今年の春にも長野に帰省した弟を母と共に、米と一緒に山形に送り届けていた。骨董の仕入れにしょっちゅう新潟に行っている父は「山形なんて新潟からちょっと足をのばせば行けるところだ」ぐらいに思っているようだ(んなバカな)。母はあまりにも怪しげなオンボロダッジバンにて長距離運転をしようとする無謀な父への付き添い。私はその野次馬。弟のアパートに皆で泊まるための布団を積み込んだ夜逃げ家族のようなダッジバンは、山形へ向かうべく午後1時30分長野を出発するのであった。