ノーノ分室の音楽
義理の姉の経営しているセレクトショップ「ノーノ分室」で流す音楽提供を頼まれる。
ずいぶん前に提供した時は何枚ものMDで提供した。それから5年10年と年月が流れ、お店のMD/CDプレイヤーは壊れ、次世代マシーンはCD/MP3コンポになっている。
2GBのSDカードを渡された。
別に満タンにしてくれと言われたわけではないけれど、なにかこう余らしているとやりきってないというか、達成感がないというか、精一杯やりきらないと次に行けないというか、一度思ったことを見過ごせないというか・・・
2GBを満タンにしないというのは中途半端な感じがするよねよねよねよね・・・
この一度思ってしまった考えが脳から離れない。
分室で流せそうなCDを選び、更にその中から曲を選び出す作業を延々と続ける。
10年も経つと、同じCDからでも選曲が違っていることがわかる。10年前は「あり」だったけれど今は「なし」、10年前は「なし」だったけど今は「あり」。そんな感じで。
人の性格はなかなか変われるもんじゃないというが、長い年月で脳は少しは変わっている。
サントラシリーズの束の中にアルマンド・トロヴァヨーリの『Sesso Matto』があった。
1973年に制作されたB級イタリア映画らしい。現在はDVDも出ているらしいが映画自体を観たことはない。
このCDを買った当時(1993年)は日本で公開されてもいないのに、この年代のイタリア映画のサントラがイケてるらしいという評判でごっそりCD化されていた。
ジャケットのビジュアルもさることながら
邦題は『セッソ・マット(色情狂)』
曲の日本訳タイトルも含めいろいろ気になる品であった。
テーマ曲はとてもイケていた。
ビートの効いた軽快なところに、「Sesso Matto」の絶頂コーラス、女性のエロい声と笑い声が絶妙にサンプリングされている。
くだらなそうなムードが匂い立つこの前衛的なナンバーは、何か懐かしさすら感じる。
懐かしい・・・
それは幼き頃、日曜日の午前中にやっていた『ラブアタック』のテーマ。
ナニワのモーツァルト、キダ・タロウ氏の作品と思われる。
あのテーマ曲が大好きだった。真似して歌うのが楽しかった。
上岡龍太郎、横山ノック、和田アキ子が司会を務め、5人くらいの大学生が「かぐや姫」なる女の子の心を射止めようと様々なゲームに挑戦する。最終的にゲームに勝ち残った者が、高台に鎮座するかぐや姫の前に出で、そして告白し、断られ、ヒュゥ~と椅子ごと堕ちてゆく。上岡龍太郎が無情に叫ぶ。
「奈落の底へ~~」
出場する大学生は自己紹介で大学名と学部を叫び、頭脳を全く使わないようなくだらないゲームに尽力し、滑稽であり格好いいとは到底見えない。こんなんで勝ち残ったとしても、この一部始終を見守ってきた「かぐや姫」の心は果たして動くわけないではないか。判断は顔と大学名だけなんじゃないか。
子供心に大学生というのがどういう人種なのかわからなくなった。大学というのは頭のいい人が行くところなんじゃないのか?
よくわからなかったけれど大好きだった。
ずいぶん脱線した。
この『セッソ・マット』のメインテーマはイケている。でもこれを聴いているののを誰かに聞かれたとしたら、とても恥ずかしい。イケているけれど、これをおしゃれショップで流すわけにはいかん。10年前は「なし」だった。そして現在も。
この手のサントラは映画の場面にあてて、二つか三つの曲を、軽快なサンバ調、しれっとしたボサノバ調、ムーディーな感じ、哀愁漂う感じ、残念な感じなど様々なアレンジにしている。
哀愁漂う感じや残念な感じなどはCDを手に入れた当時は全くグッとくるものがなかったものだが、今聴いてみるとなかなか心にグッとくるものがある。
ヘボいけれど素敵な郷愁感。
個人的には「あり」だけれど、分室では「なし」だな。